文庫本サンプル


第一巻 128p/¥400

※サイト用に横書きに変換していますが、実物は縦書き文庫本です。

 

― 序幕 ―

 

音のない闇の中、どこからかおぼろげに尋ねる女の声が聞こえた。

「もう時間だね…×××、…私の愛しい子。最期に言う事はあるか?」

「…ありません」

何もないそこに佇む青年は、はっきりとした口調で答える。

肩の辺りで切った銀色の髪が特徴の、意志の強い瞳を持つ青年だった。

もうこれ以上話すことはない、と言いたげなその声に顔色一つ変えずに、闇の中から浮かぶように姿を現した女は少し間をおくと訊ねた。

「…一つだけ聞かせてくれ…どうして人に惹かれた?人は自分を守る為ならば平気でうそをつき、人を傷つける。そんな愚かな生き物の何がよかったのだ?」

肩の下あたりまである銀糸のような髪を二つに分けて結んだ女は、正面に立つ青年にまた訊ねた。美しくも冷たい印象のあるその顔に表情はない。

「…………」

青年は俯き、黙る。まるで理由を探すように視線を彷徨わせ、やがてぼそりと答えはじめた。

「…たしかに、人は愚かでどうしようもない物でしょう。短い人生の中でほとんど悩みながら生きています。そして死に際はどんな生き方をしても後悔をする」

青年は淡々とした口調でそう言い、最後にもう一度「愚かな下等種です」と付け加えた。

「そうか…ではなぜ人に価値を感じた?何がお前を動かした?」

女の赤い唇がゆっくりと片方に孤を描く。青年は俯いたまま首をゆるりと振り、こう言った。

「俺には、彼らが生まれた意味も、価値もわかりません」

そう言った青年はどこか懐かしむように微笑み、目を閉じた。

脳裏に浮かぶのは、かつて共に暮らし良い事も悪い事も全部一緒に味わってきた大切な仲間達。

在りし日の彼らを思い出すと懐かしくて、ずっとその思い出に浸っていたいと思う。

今はもう世界中のどこを探してもどこにもいない、大切な思い出。

「…でも、わからないからこそ…その生き方や想いに憧れたんです」

青年は顔を上げ、そう言って大事に持っていたものを取り出して見つめた。

仄かな温もりを持つ純白の石は、仲間の一人の最期の咆哮の後に残っていた命の結晶。酸素に触れ赤黒く変色したこのリボンは最期まで諦めなかった仲間の生きた証。

だから自分も、もう諦めないと…立ち止まらないとあの時誓った。

「たとえ、何度も記憶を失くそうとも絶対に忘れないと約束した仲間がいるから……」

その二つを大切そうにしまうと、青年は足元でこと切れた仲間の手から矢をもらい、躊躇いもなく自身の目を抉り潰した。

彼の持つ両目は過去と未来を視る事の出来る力を持つ瞳。

この瞳がある限り『この世界』は終わらない現実を見続ける事になる。

そして最後に床に突き刺さったままになっていた剣を抜き取ると、自身の首に刃をあて、誰に言うでもなく、小さく呟いた。

「約束したもんな。もう…逃げない。何も失くしたくないんだ……」

青年はそう言って、目を閉じ、穏やかな気持ちで『次の自分』に全てを託した。

そうやって世界を管理する時計の針はまた一つ、あるべき姿から歪に歪んでいく。

 

 

 

エメラルド色に輝く海に面した賑やかなこの港町に、この日一人の少年が降り立った。

「や…やってしまった……」

この日、海を渡る大型の定期船から降りたばかりで今年十八歳になるジーク・リトルヴィレッジは、短い人生で最大の後悔をすることになる。こんなはずではなかった…と言っても今さら遅い。

ここは故郷のある陸地から遠く離れた海の真ん中に浮いた島に造られた、全寮制の専門学校で、その名を『エリュシオン戦闘専門学校』といい、普通科・体育科・援護支援特科・特進科の四つの科から成る、戦闘のエリート達が集う血肉わき踊るむさくるしい専門学校だ。

間違っても戦闘はおろか、まともに殴り合いの喧嘩もしたことのないジークが来る所ではない。

さっきから無駄に豪華な装飾を施している校門を通って。これまた無駄に豪華な校舎に入って行く生徒を横目に見ながら、ジークはくしゃくしゃに握った入学のしおりを睨みつけたが表紙の文字は変わる事はない。

筆記試験の段階で何かおかしいと気付けなかった自分が恥ずかしい。

官僚学校に魔物の倒し方の問題が出るはずがなかったのに……。

だいたい筆記試験しかなかった事が問題じゃないのか。と悪態をつくも、もう受かってしまえばそれ所ではないし入学金も払ってしまっている。

この、黒の上下にオレンジ色のジャケットが普通科に合格したという何よりの証拠だ。

この現実に何か一言叩きつけるとしたらこれしかないだろう。

「くそったれ……」

まるでジークの入学を祝福するかのようにヒラヒラと舞い落ちるサクラの花びらを死んだ魚のような目で見つめながら、ジークは重い足取りで校門をくぐったのだった。

これから始まる学校生活に不安しかなかった。

……事の始まりは今から少しさかのぼる。

柔らかい木漏れ日が木々を照らし、虹色の小鳥達はじゃれ合いながら明るい森の中を飛び交い、川の傍にある小さな村へと緩やかに群れをなして向かって行った。

赤や黄の色とりどりの花で賑わうこの村はもうすぐ春を迎えようとしていた。

今日はそんな春のある日の事。

春の訪れを祝う日と同時に、村の外れにある小さな小屋に両親と暮らす少年が旅立つ日でもあった。少年は小さなリュックを背負ったまま家を振り返ると、目を閉じてまだ陽も昇っていない薄暗い空に漂う冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

「よし…じゃあ、行ってきます」

そう言って見送りの両親へ微笑みかければ、二人も笑みを浮かべながら手を振り返してくれていた。

かねてから村を出る事は考えていたものの、踏ん切りが付かなかった彼の背中を押したのは、この世界で一番大きな大陸にある最大級の学校からの入学試験に受かった事と、両親の応援だった。

全体的に真っ黒な髪と、真ん中から大きく分けた金の前髪が特徴の少年は、はやる気持ちを押さえながら歩き出す。昨日の内に村の人に挨拶は済ませておいて正解だったと思った。

ちょうどこの村は、この春から隣の街と合併する事が決まり、畑仕事をしている両親の取引先もあっさりと決まって安泰だった。

そしてこの日、少年…ジークはこの村から出る事を決めていた。

目的はもちろん、このホワイトランドで一番レベルの高い学校へ行く事。

エリュシアン官僚学校を卒業出来ればこの国の官僚になることができ、両親に楽をさせてあげられると思ったからだ。人生をかけた出稼ぎだった。

魔法やら奇術やらが当たり前にある世界で、ずっと閉鎖的な田舎の村に住んでいたジークは十八歳という年齢にも関わらず、現実的で老けている考え方をしていた。

手にはこれから入学する予定の学校のパンフレットを持ち、リュックの中には夢と希望とお金と、入学証が入っていた。

ここから、栄えあるエリートへの道が拓ける第一歩だと思えば胸は躍り、脳内の自分は興奮して一人でタップダンスを踊っていた。

平穏と堅実。

これがジークの目指す大人であり、大好きな言葉だったりする。

まだ少し冬が残っているこの時期は春用の制服に黒のマフラーを巻いただけのジークには肌寒かったけれど、同い年くらいの子達と学び、寝食を共にするなんて初めてで、胸の奥がくすぐったいような気がした。

「…ふーむ。大昔の亜人との戦争で魔法が衰退しているのは本当だったのか。なるほど、な」

ジークは読んでいた本をパタン閉じ、頭上の青い美空と太陽の光を反射してキラキラと輝くエメラルドグリーンの海へと視線を移した。

今ジークが居るのは入学する予定の学校へ向かう大陸へ渡る定期船の上だった。

ちなみに、この本は入学証明書と一緒に同封されていた。

入学のしおりを全部読み切ってしまって退屈していたジークだが、現実主義者の彼にとっては魔法や亜人やら呪いやらは正直、全部どうでもよかったりする。

ふと、海を旅する船乗り達はこういったものを信じているのかどうかはわからないが、ちょうど暇だったジークにはいい暇つぶしになった。

ジークは本を甲板の床に置き、リュックの中からもう一度入学のしおりを取り出して目を通し始めた。

世界最大級を誇るエリュシオン戦闘学校は、二年ごとにしか生徒を募集しておらず、募集の度に定員オーバーになるほどの人気であり、入学願書の段階で弾かれてしまう事もある超難関だ。

入学試験の段階で優秀な生徒は、最初の一年は学費が免除される制度もある。

特待生になれば二年間学費が無料という例外もあるが、それは本当にごく一部だろう。

そして、エリュシオン戦闘学校に入学できた生徒達は適正に応じて四つの科にわけられる。

『普通科』…普通科という名の通り、一般的に一通りの学問を学ぶ。違いがあるとすれば、超能力者の集まりだと言える。

『体育科』…読んで字のごとく、体育以外の教科をほとんど勉強する事はない。

所属する生徒は武術や剣術を得意とし、人数は一番多い。

『援護支援特科』…おもに集団戦闘において、隠密・射撃・罠など後方支援を得意とする生徒達にあたる。こちらも、体育科と同じように戦闘力を重視する為、通常の学問がほとんどなく、人体の構造を理解する保健体育が大体を占めている。

『特進科』…上記の三つの科よりも遥かにハードルの高い学力を必要とする魔法科。

生徒は様々な属性の魔法を使える生徒達を集めた、いわばエリート集団である。

「官僚学校なのに体育科ってなんだよ……」

しおりに書かれたそれらを一通り読み終えるとジークは、その下にあった特待生制度について、の項目を凝視した。両親の援助で二年目を過ごすジークにとって、好意で貰ったお金でもあまり使いたくはない。

ちなみに、一般的な教養が学びたくエリートコースを進みたかったジークだが、事前に行われた筆記試験で普通科に振り分けられている。

出来る事なら二年目は特待生になって学費を免除でいければいいなぁ…だなんてボンヤリと考えていると、頭上の雲が次第に厚い暗雲で覆われて行く事に気付いた。

「ん?」

嵐が来るにしては、風はほとんどなく何か言いようのない嫌な予感がし、ジークが荷物をまとめ船内に戻ろうとした。その時、入れ違いになるようにして慌てた船員達が飛び出してきた。

「ちょ、うわ!」

押しのけられるようにして甲板に尻もちをついたジークは、暗雲の中から何かが下りてくるのが見えて、逃げるのも忘れて目を見開いた。

誰かが、「ドラゴンだ!」と叫んだのが聞こえた。

風を切るようにして雲の中から急降下で姿を現したのは、真っ白い蛇のようなものだった。

その龍を取り巻く暗雲と暴風は勢いを増し、マストを激しく叩き船を大きく揺らした。

「ちょ、どうなってんの!」

ジークは船から振り落とされないように掴まるものを探したが、生憎なにもなかったのでその辺のおっさんの腕を掴んだ。「道連れにする気か!」と怒られたが、聞こえなかったことにした。

やがて龍らしきものは力尽きたように四肢を投げ出したままジーク達の居る甲板の上に落ちてき派手な音と衝撃を立てて床に体を叩きつけたと同時に黄色い煙を上げた。

それと同時に風は止み、空も光を取り戻していく。

「なんだってドラゴンが!気を付けろ!」

「武器は持ったか?合図でしとめるぞ!」

途端に船員達は甲板の端に備え付けらえていた武器を手に龍を取り囲み、どさくさに紛れてジークもその円の中に加わった。

野生の龍なんて滅多に見られる物じゃないし、いきなり飛び掛かって来るのかもしれない、と緊張が走った。

だが、煙が消えた後に残ったのは意外なものだった。

そこには緩やかなウエーブがかかったハニーブラウンのショートヘアに、赤い拳法着を着たやや小柄な少年が倒れていた。幼さの残る顔。

ジークはその拳法着に見覚えがあった。入学のしおりに描かれた体育科の生徒のものだった。

「な…龍が子供に変わった?どういう事だ?」

「亜人?まだ生き残りがいたのか…とにかく、地下牢に入れておこう…何をするか分からないしな」

龍が人間に変身した事に驚きを隠せない船員達は、拳法着の少年の腕を掴むと船室に連れて行ってしまった。

ジークは自分よりも年下のように見える子供がそんなに悪い事をするようには見えなかったのだが、ただそれを見ているだけしか出来なかった。

 

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